今年に入り、ある方とお話をしたときに自分の辛い気持ちが軽くなった。

子供の性格はみんな違う。
一人だろうが二人だろうが、四人だろうが、七人だろうが、
生んだり、育て方は何となく一人より二人、二人よりは四人と楽になったんだけれど、
性格が違えば、毎回違う出来事があって、初めてだらけに親も戸惑ったり、
体力がなくなったり、疲れたりすると子供のエネルギーに押されて、
いつもなら見守るくらいの兄弟喧嘩にイライラしてしまう自分がいたり、
一回でよいような内容のことを繰り返しいってこられると、イラッとしてしまったり、
いつもなら料理を手伝いしてくれてありがたいのが、
他の兄弟が今日はしたい!と先に言ってきたから、今日はメインは姉に、三番はこっちお願い。と言っても納得せず、私がこれもこれも!とやろうとしたり、
今は⚪⚪してるから無理だからさぁー、⚪⚪したらでよいかい?といって納得したはずが、
待つといった15秒以内にはまだ?まだ?とくると、
プチん!みたいな。。(*^^*)
なんでこんなにひつこいのだ。
なんで、待てない。なんで自分の事しか考えないのさね。。なんで??が心の中でグルグル😅
三番目はエネルギーの塊のような子、生まれた時から、二人分生きていたのは知っていたけれど、
さすがの私も体力の限界。
穏やかにすごしたいのに、そうできないこみあげる怒り。
いい加減にして~!!もうやだ!!!
こんな声がでるんだ、私(笑)。
けどね、不思議と言ったあと、なんかスッキリしたりして(*^^*)
反面
こどもにというよりも、わかってあげられない自分や、直ぐにしてあげられない身体の分身技がきかないこととか自分の大人気なさにもなさけなかったりしてね。
可愛いのに、そのときは本気で嫌だなぁ~!と思うし、こどもとか大人とかを忘れ人として無理!ってあをやたみたいな人とは付き合えない!と思ったり、言ってしまうときもあった。
どうしたらうまく付き合えるんだろう。
どう伝えたら一番彼女の耳にはいるのか?
他の子には、そうならないのに、どいしてこの子には言っちゃうしむかつくんだ?
なんなんだろう。。
毎日ではないけれど、ときどきそんなことを感じていた私。
自分に似ている所があるのもあるけれど、それだけではないのだよなぁ~と
そして、今日。
その方に、その子はさ、あんたの溜め込みを放電させてくれる役割なんだよ。その子はあんたのそのためこみのエネルギーを出す事ができる人、
溜め込みを大きくしないように、チョイチョイやってくれてるの。
そう言ってくれた時に、溢れてきた涙。
自分の子を愛おしいはずなのに、全てがそう思えない自分が嫌だったけれど、
そっかぁ~って、腑に落ちた。
そう言ってくれたときに、なんとなく全てがつながって、
すぐにでもあって抱きしめたくなるような愛情と感謝の気持ちが湧き上がってきた。
ちょっとだけ、見方をかえたらこんなにも違う見方ができるのに、
自分だけだと見えなくなる角度を
今までなら、そのエネルギーも対した感じなかったのは、どうして??と狭い考えに絞らなかったから。
自分も違う放電ができていたからかも。
出し切ったらさぁ~、そんな風にはならないから、あんたの中のものだし切っちゃいなさい!!
そしたら、その子もそこまで出さなくて良くなるからさ。。
人と話すことで、自分がそんな風に辛いと思っていたことにもきづかされた。
きっと、チリつもの小さなことの日々の積み重ねだったのかも。
これからは、放電のし合いっこも楽しめそうな氣がする。
ありがたいなぁ~、自分にはそんな風に話をしてくれる味方がいることが。。
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